2019.07.29公開

音の雑学:夏の風物詩、岩にしみ入るセミの声

森林

日本のお土産として風鈴の人気が高いそうですが、日本人のように熱い夏に乾いたチリリンという音を聞いて涼を感じるということはあまりなく、単純に風を使った綺麗な音色の楽器wind chimeとして楽しみ、季節関係なくぶら下げているみたいです。 実際のことを言うと、風鈴はもともと家の四方に下げて悪霊が入って来ないようにしていた結界の一種です。衛生的とは言えなかった時代、風はさまざまな病気を運んでくることから、音がするものを下げて追い払ったことから誕生したものです。

女の子

涼ということではなく、音で夏を感じるというとセミの声がお馴染みです。ただしこれも日本人ならではの感覚で、海外では通用しません。 映画などでは青い空にセミの鳴き声を重ねるだけで多くの説明なしに夏だと解りますが、海外では「何か変なノイズが入っている」と感じてしまうこともあり、海外ではセミの鳴き声を抜いたものが上映されることもあるみたいです。 よく「ヨーロッパにはセミはいない」と語られる事がありますが、実際にはイギリスなどではセミを見かける事がないだけで、イタリアやスペインなど地中海沿岸にはセミが棲息しています。  

イソップ

ギリシャ人のイソップが書いたとされる童話集の中にある「アリとキリギリス」は元々「アリとセミ」で、夏の間ずっと鳴き続けて秋口には死んでしまうセミと、炎天下もずっと仕事をしているアリのお話だったそうです。しかしこの童話がイギリスに伝えられた時にセミでは意味不明だということでキリギリスに置き換えられたものが全世界的に有名になってしまったのです。 しかしセミの存在を知っているヨーロッパの人も、それを季節感として捉える事がほとんどなく、ただのノイズと感じる人が多いそうで、中には無意識にノイズとして脳が処理して「そんな音は聞こえない」としている人もいるそうです。

セミ

日本では松尾芭蕉が詠んだ『閑さや/岩にしみ入る/蝉の声』の句のように静けさと対比する音として捉えたり、明欽という修行僧はセミの声が「ミョーキン、シネ、シネ」と聞こえたことから悟りを開いたりと、様々な形で記録されています。 明欽が聴いた声はおそらくハルゼミと呼ばれるセミの声ですが、かつて「松尾芭蕉が詠んだセミは何か?」について文壇で対立が生まれたことがあります。 歌人の斎藤茂吉が「芭蕉のセミはアブラゼミである」と書いた文章に、評論家の小宮豊隆が「いや違う、あれはニイニイゼミだ」と反論し、お互い譲らずに論争になりました。 松尾芭蕉が山形県の立石寺(りっしゃくじ)で句を詠んだのが旧暦元禄2年5月27日。新暦では7月13日だという事で、現地に赴き「この時期の山形県ではニイニイゼミしか鳴いていない」という事で決着しています。

松尾芭蕉

日本人にとってセミは大の大人がそこまで真剣になってしまうほど重要な夏の生き物ですが、松尾芭蕉は他に「やがて死ぬ/けしきは見えず/蝉の声」という句も詠っており、夏を精一杯生きるだけ生きて死んでいくセミの姿に哲学的な思いを馳せています。イソップ物語とは逆に、セミの姿に哀れみを感じているのです。 海外では無視されがちなセミですが、日本にはノイズとも思えるセミの声すら愛でる感覚があり、シャワーのように降り注ぐ情景を表す「蝉しぐれ」という綺麗な表現も存在しています。

※今年6月に広島県の高校生が「セミは地上に出てから1週間で死ぬと言われていたが、実際には10日以上、種類によっては1ヶ月ほど生存する」という研究発表をして話題になっています。それでも何年も土の中で過ごし1ヶ月の命、は切なく感じてしまいます。

 


寄稿者:杉村 喜光(知泉)